日記(タイトル未定)

2002年3月31日(日)

久々に
 表紙を更新しました。今回も家族全員の集合写真ですが、パールと半兵衛をメインにしました。パールが亡くなってから届いた写真ですが、お気に入りの一枚です。2001年10月7日、十勝川温泉近く、アクアパークというところで行われた、ワンワン運動会のスナップです。

 明日から、新年度ですね。半兵衛父は新しいセクションで、仕事始めです。期待に胸を.........という初々しさはありませんが、ま、ぼちぼちやっていきましょう。

2002年3月30日(土)

ゴッドファザーには
 なれなかったよ。今回はパールママ案が通りましたです、ハイ。

 昨夜は、送別会の後、余興で一緒に演奏したウクレレ隊とギター隊と数名で、2次会、3次会へと。風邪が治らず、咳き込みながらもカラオケに興じる者もいるし.......あれじゃぁ、治りませんわなぁ。

 午後からは二日酔いも回復し、休日をのんびり..........というわけにはいきませんで、4月からのセクション異動にそなえて、引継の準備をしたり、持ち込んでいた私物を整理したするために、職場に行って来ました。「今日は、休みだからね。姿は見えても幽霊だよ」とスタッフに言っても、結局はいろいろな業務をする羽目に........肝心の引継の準備などが遅々として進みません。明日もやらなきゃダメでしょうなぁ。(´ヘ`;)ハァ

2002年3月29日(金)

送別会.......
 につき休載です。すいません。m(__)m

2002年3月28日(木)

パールの夢を見た
 昨夜は当直でした。午前2時過ぎに就寝。自宅ではついぞ見たことのないパールの夢をみました。冬の夜、家の近くで(ドッグラン?ひょっとすると半兵衛父の実家の庭?)パールと半兵衛がノーリードで走り回っています。人の気配がして、2頭とも吠えながら、近づこうとします。他人に飛びかかってはいけないと思い、あわててパールのカラーをつかもうとしました。「ウ〜」という顔をほんの一瞬だけ見せ、その後は柔和なニコニコ顔に戻りました。あのエヘヘという顔です。
 直後に電話で起こされたので鮮明に記憶が残っています。朝、4時少し前でした。当直のおとーしゃんにガンバレと現れてくれたような気がしています。

2002年3月27日(水)

冬季休暇
 というものが、1〜3月の間に2日取れるんですね。半兵衛父は後1日残っていたのを、今日の午前中に当てました。なかなか丸1日休むというのは容易ではないですね。午後からは出勤でした。ふぅ。昨夜が送別会だったので、午前中はほとんど休養でしたね。ちょっと淋しい休みの使い方.........

 風邪っぴきで出遅れていましたが、余興の練習にもやっと参加できました。後から追いつくというのはなかなか容易ではありませんね。( -_-)。もう、本番まで練習無しかも......あぎゃぁ

2002年3月26日(火)

送別会.......
 につき休載です。すいません。m(__)m

2002年3月25日(月)

年度末進行
 4月からセクションの異動があり、いろいろと気ぜわしい時期です。一日に書き上げる書類の量よりも、はるかに多くの処理すべき書類が回ってきて、みるみる未決書類の山が高くなっていきます。( -_-)。風邪が治る間もあったもんじゃありません。それに加えて送別会シーズンですしね..........あぁ、余興の練習もしなければ.........

 半兵衛は元気は元気なのですが、さすがにお調子者のハイパーぶりは少なく、丸まって「ふぅ」とため息をついている(ように見える)ことが多くなっています。運動量が落ちたのもあるのでしょう、体重が増えてきています。ただでさえ、態度も体格もでかいのにこのままではデブになってしまいそうです。半兵衛父の風邪が治ったら、出勤前の半兵衛との散歩をパールママから申し渡されました。半兵衛〜〜、オレとオマエは仲間らしいぞぉ〜〜〜。

2002年3月24日(日)

ゴッドファザーになるのは難しい
 すいません。当直が入ったりして二日ほどサボってしまいました。m(__)m。風邪の方は少しずつ快方に向かっています。長くしゃべるとまだ、ちと、咳が出ます。火曜日の送別会までには復調したいものですな。

 で、タイトルなんですけど、ゴッドファザーになるべく、四苦八苦しています。時間をかけて考えりゃ、それだけいい案が浮かぶってものでもないんですよね、こういういことは。いわゆる、ひとつの、なんですか〜、そのぉ〜 ま、ヒラメキってやつが大事かも。あーでもない、こーでもないって、腕組みして首をひねるより、案外、半兵衛のウ○チの始末をしてるときに、ぽっと浮かばないかなぁと内心期待しています。可もなし不可もなしってのは、候補としてあるんですけどね。ま、まだしばらく先の話ですが、その時がきたらご披露しましょう。

2002年3月21日(木)

男同士
 パールママが昨日から釧路へ帰省し、数日、半兵衛と男同士で留守番と相成りました。半兵衛父の風邪っぴきもまだ治らず、なんともボケッと中途半端な休日です。風呂上がりのビールもどこか遠い世界の飲み物のように感じられます。(ぢゃぁ、飲まなきゃいいのに.........って)。
 写真集「また会おね」を作ってから、我が家では矢野顕子の「また会おね」がしょっちゅう、時にはエンドレスで流れています。パールママとは、好みの音楽はあまり一致しないのですが、さすがにこの曲ははまったようです。こうなるとライブバージョンも聞きたくなるもの。「Twilight」というタイトルのアルバムを買ってきました。やや、スローテンポ、コーラスつきの「また会おね」でしたが、なかなか良いです。本当は、故大村憲司氏(オリジナルの「また会おね」にも参加)がゲスト参加している「グッド・イーブニング・トウキョウ」を探しに行ったんですけど、無かったので........Amazonでも「グッド....」は在庫無しになってましたし......

 でもって、やっぱりこのCDは名盤!(「今月の一枚」の構想はあるんですけど、なかなかとりかかれなくて、努力目標はこの4月からの再開です)

2002年3月20日(水)
どこに何があるのやら
 わからなくなりますね、Windows環境は。アプリケーションをインストールしても、本体のある場所はわかっても付随するファイルはどういう構成になっているのか、皆目見当がつきません。Macでもわからないことはありますが、それでも、だいたいは初期設定、機能拡張書類、コントロールパネル書類などはわかるものなんですけどね。確かにウィザードって言うんですか?あれに従ってればスムースに行くときは問題ないですけど、トラブルが生じたときはなかなか手動ではムズカシイものがありそうですが、どーなんでしょう。ま、がんばってやってはみますが。
2002年3月19日(火)

ガソリンスタンドで
 いつもは給油するスタンドは決まっているのですが、急用のため年に数回しか使わないスタンドに行きました。給油のブースは6つほどある大手のスタンドです。何故、年に数回しか使わないかというと、やれオイルの交換はどうだとか、洗車チケットをどうですかとか、ノルマがあるんでしょうね、きっと、店員さんがセールストークを連発して、それにゲンナリしていたからです。急いでるんだがな、また、いろいろと勧められるのか.........と、覚悟して給油口を開けて車内で待っていました。

 以前なら、脱兎の如く数名の店員さんが駆けつけてくるのですが、誰も来ないじゃありませんか。ルームミラーで後方を伺うと二人の店員さんがタイヤを転がしたり(?)しています。あらま、お客が来たのに商売っ気の無いことと思っていました。まぁ、そのうち「お待たせしました〜〜」と駆け寄ってくるだろうと待っていました。でも、来ないのです。隣のブースを見ると、あれ?制服を着ていないオッチャンが給油しているじゃありませんか。「????」そうです、いつの間にかセルフ給油の店になっていたのです。(゚◇゚)ガーン。いくら待っても店員さんが来ないわけです。

 セルフ給油初体験でした。今度からは積極的に利用しましょう。あのセールストークから開放されるだけでも、精神衛生上好ましいものがあります。

2002年3月18日(月)
職場で
 コンピュータが配給(?)になりました。当然、Windows マシンですが.........個人的に使っていたiMac(ボンダイブルー)は引退です。(置く場所がないので.........)。速度は速いことは速いんですけどね、とっつきづらいし、慣れの問題なのかなぁ、半兵衛父にはまるでブラックボックスです。だいたいのデータはファイルメーカーとエクセルで作っていたので互換性があるので助かります。ワープロはほとんどテキスト形式で事足りるようなことしかしていなかったので、これまた何とかなりそうですが。
 ホームページ作成もお鉢が回ってきそうでして、こればかりはMacで作りたいですな。Win版DreamWeaverとFireWorksでもいいけれど。
2002年3月17日(日)

不養生2
 朝、目が覚める。どんよりとした不快な気分と倦怠感。あぁ、これはしょっちゅう経験している二日酔いの感覚。じゃぁ、風邪の方は治ったのかな?バンザイ。
 昼近くになり、二日酔いの方は改善。しかし、咳と熱感が再び出現。ありゃ、まだ風邪は治ってなかったんだ。幸い日曜日なので、養生に専念することに決める。パールママが買い物に行くというので、桃の缶詰やアイスなど風邪っぴき御用達の品々を注文する。味覚はいつも通りというわけには行かないが、食欲は落ちない。

 2階の寝室で寝たり起きたりの半覚醒(はんかくさい? はんかくせい)状態で過ごす。夢うつつなのだが、ふと気づくと隣のファミリールームで何かが走り回る音が。半兵衛か?いや、半兵衛は階下にいるはずだし、違う。ひょっとしたらパール?そうか、パールかとぼんやり考えつつ、また眠りの中へ。父の容態を気遣って見に来たのだろうか。

2002年3月16日(土)

不養生
 熱がありそうだが、あったらかえって気にしそうなので計らないことにする。計られる数値でなく、自分の感覚をこそ大事にしよう。きっと、今以上にしんどくなったら計っちゃうだろうし、今だって計って見たい気持ちはちょっとはあるのだが。
  で、総合感冒薬、解熱鎮痛剤、抗生物質、鎮咳剤、などを服用して会合へ。途中、少し咳き込みながらも、自分の役割を果たした後、送別会に突入。味覚も普段とは違い、ものの味がわからない。ビールもうまくない。それなら、早く引ければ良いものを、話が弾み3次会まで行っちゃうんだから、治るものも治らないよね。

2002年3月15日(金)

最後の最後で
 風邪をひいてしまいました。喉が痛くてちょっとハスキーな声になってます。熱は微熱程度(?)、長くしゃべると咳が出てしまいます。数日前から、倦怠感があって夜更かしが耐えられなかったのはこのせいか.........おとなしく薬を飲んで安静にしていることにしましょう。この時期は送別会、その他、欠席するわけにはいかない行事もいっぱいあるのでこじらせないようにしなくっちゃ........
 で、もって早速、この土曜日が送別会........

2002年3月14日(木)

女神、微笑まず
 神頼みをしましたが、ペケでした、グリーンジャンボ。う〜、やっぱり額に汗して働きなさいということでしょうか........

 宝くじってのは、還元率が45%くらいだったかな。競馬や競輪が70〜75%だから、宝くじは胴元がせしめる率が高いわけだね。高校時代の数学の教師は、確率のところで、「どうせやるんなら、賭ける方じゃなくて、胴元に回った方が確実に儲かる」などということをけっこう真剣に口角泡を飛ばすといった調子でしゃべっていた。また、対数の項で出てくるlogに関しては「いいか、ビートルズのア・ハード・ディズ・ナイトの歌詞に出てくるlogは『丸太』っていう意味だからな」と、やたらどうでもいいことをしゃべりまくっていた。
 不思議なもので(いや、当然か?)肝心なことは、何にも覚えちゃいないが、こういう余談めいたことはわりと記憶に残るものなんですね。

2002年3月13日(水)

半兵衛復調!?
 ちょっと生彩を欠いていた半兵衛ですが、順調に回復といいますか、元気になってきています。おねぇちゃんがいない分、でかい顔をしてやんちゃぶりを発揮しています。家の中を走りながらジャンプしたり(ジャンプしながら走る?)、スライディングをしたりと以前にも増して、ハイパーなときも結構あります。それでも長続きはせず、飽きて別なことを始めたりもするので、2頭の時の方がケンカもしたけれど楽しかったことでしょう。

 まだ、先はわかりませんが、半兵衛が元気になってきて、ホッとしているところです。

 10年ほど前に「こんな本もあるんだぁ〜」と買った「日本 架空伝承 人名辞典」。パラパラとめくってみている今日このごろ。

2002年3月12日(火)

天国のパール、苦笑 !?

 パールの周りを花で飾り、ご飯とお水を毎日替えています。家族の写真も額に入れて飾ってあります。厳粛な場なのです、本来は。
 が、しかぁし、そこはパール家。喪も十分明け切らぬうちに、世俗にまみれた者達が考えつくことと言えば.........半兵衛は、「ねぇちゃん、ねぇちゃん。何とか言えよ。食べないんならオレが食べてやるぜっ」とオヤツに手を出そうとします。
 パールママはといえば、おお、殊勝にも手を合わせてパールの冥福を祈ってるじゃぁないかと思ったら、やにわにママの口元が動き、「グリーンジャンボ宝くじが当たりますように。パールッ。お願い!頼むよっ」
 きっとパールも天国で苦笑していることでしょう。

2002年3月11日(月)

家族写真ノススメ
 もともと写真を撮る趣味などなかったし、今も趣味というわけではない。Macをいぢっていたので、周辺機器、デジタルデヴァイスにはそれなりに興味もあった。デジタルカメラもカシオのQV-10Aから使っていたのでわりと早めの方。でも、そんなに頻繁に使うことはなかった、パールが来るまでは。
 パールを写すこと、そしてそれをプリントしたりホームページにアップするため、我が家のデジタルカメラはフル回転した。ワンと一緒に外出するときはほとんどカメラを携帯した。そんなとき半兵衛父(パールパパ)の右手はデジタルカメラと一体化した。(・_・)......ン? 地元紙「とかちのわんこ」には「半兵衛父さんがいつもカメラ片手にいろいろなアングルから撮りまくります」と記されたくらいだ。

 さて、今回、画像をきちんとCD-Rに保存しておくために整理したところ、ハードディスク内に約1万枚弱のデジタル画像があり、容量は約2GBに達した。うち、プリントアウトしてアルバムに入れてあったのが2500枚。よく人間の場合だと、最初の子供は写真が多くて、2人目、3人目になるにしたがって写真の数が少なくなることが多いようだ。しかし、我が家の場合は半兵衛が来てからも、シャッターを切る回数は減らず、むしろ2頭のやりとりを撮るために増えたくらいである。

 数千枚の写真を眺めながら、パールと暮らした日々に思いをはせる。あぁ、こんなこともあった、そういえば、あんなことも.......どれもこれもみな懐かしい。天国のパールもそう感じていてくれるだろうか。ヒトとワンではあったが心通い合うものがあったと信じたい。ふと、家族全員が一堂に写っている写真が極めて少ないことに気づく。二人の人間のうち、片方がカメラを持って写し手になるのだから、全員で写っている写真が少ないのは当たり前といえば当たり前なのだが..........ワンを飼っているみなさん、家族一同で写っている写真ありますか?

 上の画像はその数少ない、家族全員で写っている写真 (^。^)。(半兵衛はまだ生まれていない時です)

2002年3月10日(日)

半兵衛と留守番


淋しん坊の半兵衛

 昨日、今日と十勝はポカポカ陽気で雪解けが一気に進みました。十日ほどワンを走らせていなかったのと4日前の雪で、昨日まではドッグランは一面、きれいな雪に覆われていましたが、今日の午後にはご覧の通り、地面が顔をのぞかせています。冬の間は走らせても、そのままの足でリビングに入れていましたが、今日からはドッグバスで足を洗わなければなりません。
 パールママは所用で日中はお出かけでした。昨日に続いて半兵衛とドッグランで遊びました。「連れてけ連れてけ」と騒いだり、放すと飛び跳ねるのは以前と変わらないのですが、短時間で「ちっ、つまんねーの」という感じで地面をほじくったりします。じゃれる相手がいてこそ、半兵衛も生き生きとするのでしょう。あらためてパールと半兵衛は良いコンビだったと感じています。
 家の中でも半兵衛はスリスリ寄ってきたり、トイレで父の姿が見えなくなるだけでもビィビィ泣く甘ちゃんになってしまっています。

2002年3月9日(土)

パールとインターネット2
 パールのことをホームページにアップするということで、たくさんの方とお知り合いになることができました。このこともパールが私たちにもたらしてくれた大きな宝物だと思っています。パールがいなければホームページを開くこともなかったでしょうし、パールや半兵衛をたくさんの方に知っていただいたり、お友達になっていただくこともなく、私がみなさんの目に触れる文章を書くこともなかったでしょう。

 パールは生活を共にするということで私たちにたくさんの喜びをもたらしてくれました。また、みなさんと知り合う機会もつくってくれることで更に、私たちの生活を豊かにしてくれました

 今回、ほんとうにたくさんの方々がパールのことを思い、私たちのことを心配してくださり、いろいろな方法でアクセスされ、その反響の多さに、驚きを通り越してとまどいを感じています。パールは天国から我が家の様子や「パールの部屋 + 半兵衛」をニコニコしながら眺めていることでしょう。ひょっとしたら、みなさんのお家の様子ものぞいているかも........?
 これからも今まで通り、変わらぬ御友誼を賜れれば幸いです。

2002年3月8日(金)

パールとインターネット
 もう少し、3月3日の続きを。少々お付き合い下さいませ。
 パールの亡骸をリビングに安置し、しばし別れを惜しんだ後、パールママは生前パールがお世話になった方々へ電話で連絡をしました。それを傍らでぼんやり聞きながら、「他に亡くなったことを伝えなければならないのは........このサイトを訪問してくださる方々」と頭に浮かび、掲示板に経過を数行、記しました。パールが倒れて闘病記をアップしだしてからというもの、一日のアクセス数が平常の3倍にも増えていたのです。アクセスログを見ますと何度もリピートしてくださる方が多かったのです。(経由するサーバーがわかる程度で、もちろん個人の特定などはできません。念のため)アクセスログは数字とアルファベットの羅列にすぎませんが、そこからはたくさんの方たちの、パールへの応援の気持ちが伝わってきました。

 1998年3月下旬。私たちは十勝に引っ越してきました。4月にパールが我が家に来ると同時に、パールママは「ウチもホームページを作る」と宣言しました。それから約2ヶ月の悪戦苦闘の末、1998年6月4日に「パールの部屋」はスタートしたのです。今、思い出すと恥ずかしさで「ギャッ」と叫びそうになるような稚拙なホームページでした。その時からバックの青空は今と同じで、「パールの部屋」らしさの一つになっています。当時はまだコーギーのHPは少なく - せいぜい数十程度 - て、Yahooへの登録なども比較的短期間で受理されました。最初は1日のアクセス数が10とか15で、それも自分がアップしたのがちゃんと表示されるか、「再読込」した分がけっこうありました。参考させていただいたホームページの掲示板に、新しく我が家もHPを立ち上げたことなどを書き込み、徐々に来ていただけるお客さんが増えていったのでした。(この項続く、かな?)

2002年3月7日(木)

続・あれから1週間
 3月3日、早春の陽光の中、パールは旅立ちました。病院から自宅へ戻るわずか10分ばかりの間に、車中で静に息を引き取ったのでした。車から降りて家の中に入る前に、パールママが「入る前にドッグランに入れてあげよう」と言いました。そう、それはまさしくパールにふさわしいことでした。ドッグランに横たえ、動かない姿を見ているうちに「死んじゃったんだ..........」という思いがこみ上げ胸が締めつけられました。涙が出そうになりましたが、屋外ということもありこらえました。家の中に入ってからはこらえ切れませんでしたが。

 この冬一時期、我が家のドッグランは雪に埋もれ使用不能となりました。その時は「こりゃ春になって雪が融けるまで、ドッグランは使えないかな」と思ったのですが、「除雪機を買おう!」とパールママが度肝を抜くようなことをいうではありませんか。正直言って、びっくりしましたね、そんな発想は私にはありませんでした。
  さすがに家庭用の除雪機でドッグランを除雪するのは、かなりの重労働でした。駐車場の方はほとんど放置でしたが、パールと半兵衛を走らせて、我々も一緒に遊ぶというあの至福の時間を得るためなら、土日をほとんど費やし、手にマメを作るということもさほど苦ではありませんでした。しつけなどでは、甘い、ダメ父ですがこの冬の除雪は一生懸命やって良かったと心から思っています。あれを怠けていたら、パールに合わす顔がありません。本当に土日にパール達とドッグランで過ごす時間は、気温はマイナスでも気持ちはあったかで楽しい時間でした。ぎこちないハンドラーでしたが、アジリティもどきのことをしたのもおよそドッグランを作ったときには、私は予期しなかった望外の幸せでした。

 今度の土日は、半兵衛を思いっきりドッグランで走らせてやろうと思います。じゃれあう相手がいなくなっちゃったので、半兵衛父も相手をして走り回ることになるでしょう。ゼイゼイ。

2002年3月6日(水)
あれから1週間
 昨日までの晴天がうって変わり、今日の十勝はしんしんと細かな雪が降っています。
 パールが倒れた2月27日から1週間が過ぎました。あっという間のようでもあり、遙か昔のことのようでもあり、妙な気分です。
 倒れたのはウィークデーである水曜日の夕方でした。てんかん発作が重積し止まりませんでした。人間でも重積状態になると呼吸困難から死に至ることがまれにあります。パールの重積はあのとき数時間以上も続きました。9割方、死の淵に引きずられていたのでしょう。
  それから5日間も生命の炎をともし続けたのは驚異的なことだったのかも知れません。小康状態となり、自宅に連れてくることもできました。3月2日から4日にかけて、一家で帰省する予定をたてていたため、本来は私が仕事である3月4日の月曜日も休暇を取っていました。感情移入が過ぎるととられる方もいらっしゃるかもしれませんが、パールは突然この世を去ってしまっては、私もパールママも半兵衛もショックが強すぎると思い、別れを受け入れられる期間として5日間、最後のエネルギーを振り絞ったように思えてならないのです。
  パールの方でも別れがたく思ってくれたのでしょうか。家族が欠けた中で旅立つのは淋しいものね
  パールが息を引き取ったのは、3月3日、日曜の朝。日射しは明るく、十勝のこの時期にしてはポカポカの陽気でした。私の3連休の中日でした。仕事のない日でしたので、パールと最後の時間をゆっくり過ごすことができました。(明日に続く.....かな?)
2002年3月5日(火)

みなさん どうもありがとうございました
 まだ、ぽっかり胸に穴があいたようで、ちょっと現実感がありません。思えば4年間とはいえ、一つ屋根の下に暮らし、濃密に関わった家族を失うというのは初めての体験でした。落ち着くまでにはもう少し時間がかかるでしょう。
でも大丈夫、p(。・_;。)qガンバルッ

 全国各地の方々から、お悔やみのメール、お電話、FAXなどをたくさんいただき、驚くとともに感謝の気持ちでいっぱいです。パールは私たち家族を幸せにしてくれるとともに、私たち家族とたくさんの方々との橋渡しもしていてくれたのであり、「お前はすごいヤツだ」と感じ入っています。「パールの部屋+半兵衛」は続いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。m(__)m

2002年3月2日(土)7時13分

添い寝2
 5時半頃、交代をしようと話すも、「いや、ここにいる」とパールママ。さすがにその時刻だと、パールママも半覚醒状態。次に出た言葉は「イチゴチョコレートある?」「う"っ 半兵衛父が帰ってくるまではあったけど、その後はないョ〜」に一瞬むくれるが、すぐまた、ス〜〜〜〜〜〜〜ッと眠りの世界へ。起きたとき覚えてるかなぁ、と思いつつ川の字になって寝ました。

 パール家は3/2〜3/4の間、釧路へ帰省する計画を立てていましたが、いったん延期です。3/4(月)に休暇をとっていたのが、今回の看病に使えるので、ホッとしています。

 パールはおだやかな寝息を発して、パールママはさらに大きな寝息を発して並んで就寝中です。

2002年3月2日(土)2時38分

添い寝
 パールの横に布団を敷き、添い寝。何ができるわけではないけれど..........手(足?)を握ってぬくもりを確かめたりする。おや?血が?そうだ、おとなしくしているのを、これ幸い、とパールママが爪切りをした跡だ。なぁんだ、ビックリ。二人でよいしょっと体交をし、ひとしきり寝顔に見入る。

 長丁場になるかもしれないので、人間の体力温存も大事。パールママと交代し、半兵衛父はこれから夢の極楽ツアーへ。パール、また、明日の朝会おう、そう、いつのまにかもう3月。元気になった頃は、ドッグランの雪も消えているか...........

2002年3月1日(金)22時40分

在宅で
 パールは昏々と眠っています。「パールゥ!!」の呼びかけに耳を動かします。意味を理解しての動きではなく、反射とはわかっていても、昨日はみられなかった反応が見られるとうれしいものです。いったいどんな夢を見て眠っているんでしょう?。願わくはおっかない夢などではなく、楽しい夢でありますように。それぐらいのことをお願いしてもバチはあたりますまい。私ではなく、パールへのはからいなのですから...........

2002年3月1日(金)00:30

深夜の面会
 夜11時過ぎにパールの面会に行って来ました。一時、痛み刺激に反応を示したとのこと。見ている前でも自発的にまぶたを動かしました。バイタルサインは心拍も安定していて今のところは心配ないよう。後はひたすら覚醒するのを待つのみ。明日の状況によっては、当然、まだ自力での経口摂取ができないでしょうから、IVH(中心静脈栄養)を入れて、在宅で診ていくかもしれません。かすかに光明が見えてきたような..........そんな気がします。

 先生は二日続けての泊まりです。本当に頭が下がります。礼を述べると「いえ、何ともないです」と、さも当たり前というふうに........なかなかできないことです。パールは幸せ者(犬)です。地域のみなさんにも、ネットを介した全国各地の方にも愛されました。そんなパールは幸せに違いありません。家族もパールのおかげで楽しい4年間を過ごしてきました。そして、これからも。キッパリ!

パール、元気になれよ!

 


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