どこまでいっても絶対ということはない
奈良県の妊婦を乗せた救急車の件、あちこちで言われてますな。
「どこに住んでいても同じ医療が受けられなければならない」
「1年前の教訓が生かされていないじゃないか、何をやってたんだ」
という意見が報道されてました。理想を追い求めればそういう意見にもなるのでしょうね。
半兵衛父としては効率、採算性を度外視しないと、理想の医療システムは無理だと思う。いや、どんなに尽力しても全ての人が満足するシステムなどできやしないだろう。みんなが「100%」や「絶対」を求め続ける限りは。
今回の件でも検証すれば、改善すべき点はでてくるだろう。きっとそれらが改善されても「絶対」にはならない。
例えば、「救急ベッド(空床)を増やしましょう、そこに人員も配置しましょう」この発想自体は正しい。医療費をそこに配分するという政策、コンセンサスが得られればね。要は空床と待機人員にどれだけコストをかけられるかということ。こちらの努力はなされるべきだね。
さて、空床と人員は確保できた。めでたし、めでたし。
ところが、空床数+1の患者がやってきた。どうする?
先に来ている患者を追い出すわけにも行かないだろう?(実際の現場では退院が決まってる人に1日早めてもらうような場合がないことはない。が、こんなことはまれなこと)結局あぶれてしまう。どこまでいっても「絶対入院できる」とはならないのだよ。
北海道の郡部などに住んでいると、通常のアクセスだって最寄りの医療機関まで3時間なんてのはざらだ。でも、そこに住んでいる人は不便だとは言っても、その不便さを受け入れて生活している。だからそれ以上の文句は言わない。
奈良の場合はどうか?背景人口を考えると妊婦が救急車で運ばれる事は日常茶飯だろう。確かにセンセーショナルな出来事ではあるから、発生すれば報道されるに違いない。1年をおいて2例目が起こったわけだが、1例目と2例目の間の期間は、事例化せずにシステムが機能していたという見方もできるのではないか?
昔(いつを昔にとりましょうかね。(^_^;))に比べて、ユーザーの要求水準が高くなりすぎてはいないか?医療技術は進歩するから要求も高くなるのはわかるが、どうも「医療は絶対でなければならない」という風潮が強くなっていると感じるのは半兵衛父だけだろうか。
システム改善の努力はなされるべきだが、同時に「医療は絶対ではない。ほどほどなんだ。やむを得ない場合もある」というコンセンサスが得られなければならないだろう。
半兵衛父がもし、脳出血で倒れて、搬送先がいっぱいだったら.........それは運命としてあきらめるだろうね。そういうリスクの中で生活しているということを充分わかっているから............