パール・闘病記


 2002年2月27日、パールがてんかん重積発作のため入院しました。二階のサークルにいたパールをたまたま二階に行った私が発見。その時は舌がだらんと出ていて前脚を犬かきの様に動かしています。呼びかけにも反応せずすっかり動転してしまい膝はガクガクでした。診察終了時間の七時数分前だったので急いで獣医さんにこれから行くと連絡をしてパールを抱き上げてるすっかりだら〜んとして死んでいるよう............
  多分わめきながら階段を下りて車に入れたと思います。病院の駐車場に入れて私が降りると同時に先生がぶっ飛んで来てくれそのままパールを処置室に、病院に入りながら「もうダメかもしれない 早く蘇生してぇ----------------」と喚いた記憶があります。「自発呼吸がある」と先生の言葉とテキパキとした処置の早さに「パール頑張って」と祈りながら職場から直行してくれたパールパパと処置を見守りました2時間近くかかりなんとか安定。こんこんと薬で眠るパールをなでなでして帰宅しました。今後の予想としては「わかりません」とシビアな説明も受けましたが眠りから目覚めた時のパールにただ逢いたいそれだけです。(2002.02.27記ママ

 19時数分前、もう少しで通常業務も終わろうとしていたところ、「半兵衛父さん、緊急の電話です」とのこと。「?」と思い、受話器を耳に当てると、パールママの声。動転しているようで、さらに「??」。かろうじて「パールが舌を出したまま、ぐったりしている」と言っているようだと悟り、仕事終了後、すぐに動物病院に駆けつけました。道中、「もうダメなんじゃないだろうか」という思いが、押さえつけようとしても、自然とわき上がってきます。今日、でがけに見たパールの顔はどんなだったか、最後に外で遊んだときの様子はどうだったか........と、次々脳裏に浮かびます。
 覚悟を決めて、動物病院のドアを開けました。パールママのワンワン泣く声が聞こえる...........ということはなく、シーンと静まりかえっています。急いで処置室に入ると、点滴とフェイスマスクで酸素吸入を受け横たわっているパールの姿が目に入りました。「てんかん発作のようです」と動物のお医者さんが言います。意識はなく、前肢をリズミックに動かしています。発作の重積状態です。ジアゼパムの静注でも治まらず、フェノバルビタールも使用して1時間以上経ってからようやく、前肢のけいれんは止まりました。
 今夜は経過を見るために入院となりました。明日には目が覚めて元気な姿を見せてくれればと期待しています。診療時間終了間際の急患にも嫌な顔一つせず、遅くまで治療、看護にあたって下さった動物病院のみなさんには本当に頭が下がります。ありがとうございます。(2002.02.27パパの日記より

 出勤前にパールの様子を見てきました。酸素と点滴の治療を受けているパールですが、昏睡状態です。瞳孔以外の反射はまったくありません。職場からお昼近くに電話を入れてみましたが、変わらないそうです。夕方半兵衛とまた逢いに行って来ます。(2002.02.28記ママ

 パールはまだ深い眠りの中にあります。
 てんかんのけいれんが起きた場合、短時間でおさまればそのまま経過観察でも良いのですが、ある程度けいれんが止まらなければ、「抗けいれん剤」という類の薬剤を使用します。薬剤を使わずにけいれんが治まる場合も、終末睡眠といって「けいれん」→「睡眠」と経過することが多いのですが、「抗けいれん剤」を静脈内投与した場合はほぼ全例に近く、睡眠に移行します。パールは昨夜、けいれんがなかなか止まらず、「抗けいれん剤」をかなり使用しました。その薬剤の代謝が進み、薬剤の血中濃度が低下してくると覚醒すると踏んでいたのです。しかし、約24時間を経過した現在も覚めていません。薬剤の影響だけによる睡眠とは考えづらい状況になってきています。起きて良いはずの時間が経っているのに、起きてこないのは楽観できない状況でしょう。
 幸い、今のところバイタルサイン(生命徴候:脈拍、体温、血圧、呼吸数など)は安定しています。発作後の脳内活動の乱れが改善し、フッと目を開けるのでは.........と願っています。
 お見舞いカキコをいただいた方々、どうもありがとうございます。また今日もたくさんの方が当ページを訪問してくださっています。みなさんのお顔は見えなくとも、言葉は聞こえなくとも私どもは勇気づけられますし、それは、パールにパワーをいただくことになると信じています。本当にどうもありがとうございます。(2002.02.28パパの日記より

 ちょっと前に病院へパールの様子を見に行きました。ほんの僅かですが痛覚に対する反応が出てきていますし、目を動かしたり夕方には下がってきていた心拍数も上がってきていました。まだ厳しい状況には変わりないのですが、明朝の状態によって中心静脈栄養を入れてもらい自宅で様子を看る予定です。パールも頑張っています。私達も頑張ります。(2002.03.01未明記ママ

 夜11時過ぎにパールの面会に行って来ました。一時、痛み刺激に反応を示したとのこと。見ている前でも自発的にまぶたを動かしました。バイタルサインは心拍も安定していて今のところは心配ないよう。後はひたすら覚醒するのを待つのみ。明日の状況によっては、当然、まだ自力での経口摂取ができないでしょうから、IVH(中心静脈栄養)を入れて、在宅で診ていくかもしれません。かすかに光明が見えてきたような..........そんな気がします。
 先生は二日続けての泊まりです。本当に頭が下がります。礼を述べると「いえ、何ともないです」と、さも当たり前というふうに........なかなかできないことです。パールは幸せ者(犬)です。地域のみなさんにも、ネットを介した全国各地の方にも愛されました。そんなパールは幸せに違いありません。家族もパールのおかげで楽しい4年間を過ごしてきました。そして、これからも。キッパリ!

パール、元気になれよ!(2002.03.01パパの日記より

 状況としては依然と厳しいものがありますが前日より僅か反応が良いのと心拍も落ち着いているので週末自宅で過ごさせるべく パールを連れてきました。病院から輸注ポンプやら発作時の 注射、その他の点滴の薬剤など全部持ってきてリビングの一番いいところで寝ています。点滴の管など半兵衛に悪戯されるのではと心配しましたが半兵衛はあまりパールに近づきません。ただ普段のように「ホリャ、姉ちゃんどうした遊ばないのか」と言いたげにパールに向かい遊びのポーズを示しワンワン吠えています。 厳しい現状ですが、パールが一時的でも家に戻れてそして看護が できることは大変幸せに感じています。(2002.03.01午後記ママ

 パールは昏々と眠っています。「パールゥ!!」の呼びかけに耳を動かします。意味を理解しての動きではなく、反射とはわかっていても、昨日はみられなかった反応が見られるとうれしいものです。いったいどんな夢を見て眠っているんでしょう?。願わくはおっかない夢などではなく、楽しい夢でありますように。それぐらいのことをお願いしてもバチはあたりますまい。私ではなく、パールへのはからいなのですから...........(2002.03.01パパの日記より

 今回、たくさんの方々のお見舞い、優しい言葉をいただきました。みなさん、パールのこと私たち夫婦のことを気遣ってくださっています。アクセスログを見ますと朝早くから深夜まで、リピートして訪れてくださっている方もいらっしゃいます。病床にあるパールの姿をアップすることに、若干の躊躇も覚えましたが家族の一員としてのワンが病気になったときの介護ということで、私たちも記録を残しておこうと考えましたし、みなさんの何かのお役に立てればと思いアップすることにいたしました。(2002.03.02午前記パパ

ベッドはリビングの一等地
(3月2日午前2時30分) →


ねぇちゃん、よぉ、あそぼうぜ。おりゃぁ。
半兵衛のおかげで我々も救われます。

バイタルサインは安定しています。開閉眼は行いますが、刺激には反応したりしなかったりで、深い睡眠にあると考えられます。

 

現在、パールは24時間点滴の治療を受けています。機械が滴下を調整しているので、時間が来たら交換するだけです。点滴に入れるビタミン剤を注射で吸っているところです。→

 

←「ねぇちゃん、なんで何にも言わないんだよぉ。オレはつまんないぞぉ
  半兵衛は何かを感じているのか、普段ならいだずらするであろう、パールの掛け物や点滴チューブ類に一切手を出しません。パールの顔を見ながら「遊ぼう」のポーズを作り、吠えて起こそうとしています。半兵衛も淋しいのでしょう。
 

角膜炎を起こしやすいので、眼軟膏をさしています。→


心音、呼吸音ともキレイです。
私たち夫婦は人間の医療職です。

 自分の子供がこんなことになるとは夢にも思っていませんでした。先に老いてゆく子の老犬介護くらいは思い描いたことはありますが.....日中パールは地元ネッターの方としつけ教室の先生のお見舞いがありそれぞれ可愛がってもらいました。トイレシーツを替えたり、体位変換をしたり、目に軟膏を入れたりとその程度のことしか私はやってあげれませんが、どういう訳かとても幸せに感じています。状態が落ち次いで眠っているパールをみると「どうして、こうなっちゃったのかなぁ」と悲しくなったりはしますが...少し前に体位変換をしたのでパールが目覚めています。 瞬きをしておりますが、呼びかけには特に反応がなく痛覚刺激もないです。ある時もあるのです、反応には波があります。 パールパパも大切な会合を途中で抜け出し帰ってきました。私が具合悪いときはどうなんでしょう......? 危機は脱していませんが、安定した状態です。みなさんの書き込みには本当に勇気づけられます。有り難うございます。 (2002.03.02深夜記ママ

 パールの横に布団を敷き、添い寝。何ができるわけではないけれど..........手(足?)を握ってぬくもりを確かめたりする。おや?血が?そうだ、おとなしくしているのを、これ幸い、とパールママが爪切りをした跡だ。なぁんだ、ビックリ。二人でよいしょっと体交をし、ひとしきり寝顔に見入る。
 長丁場になるかもしれないので、人間の体力温存も大事。パールママと交代し、半兵衛父はこれから夢の極楽ツアーへ。パール、また、明日の朝会おう、そう、いつのまにかもう3月。元気になった頃は、ドッグランの雪も消えているか...........(2002.03.01パパの日記より

 5時半頃、交代をしようと話すも、「いや、ここにいる」とパールママ。さすがにその時刻だと、パールママも半覚醒状態。次に出た言葉は「イチゴチョコレートある?」「う"っ 半兵衛父が帰ってくるまではあったけど、その後はないョ〜」に一瞬むくれるが、すぐまた、ス〜〜〜〜〜〜〜ッと眠りの世界へ。起きたとき覚えてるかなぁ、と思いつつ川の字になって寝ました。
 パール家は3/2〜3/4の間、釧路へ帰省する計画を立てていましたが、いったん延期です。3/4(月)に休暇をとっていたのが、今回の看病に使えるので、ホッとしています。
 パールはおだやかな寝息を発して、パールママはさらに大きな寝息を発して並んで就寝中です。(2002.03.01パパの日記より


ドッグバスでシャンプーというわけにはいかないので、ドライシャンプーをして乾かします。(2002.03.02.17時)
口に手を入れると噛みました。(^。^)

 昨夜、パールの状態が急変して入院となりました。主治医の先生の携帯につながらず、幸いにも町内の獣医さんに連絡がとれ診ていただく事ができました。瞳孔反射は全くなく心臓もかなり弱っているそうです。病院へ連れて行こうと抱きあげたとき血尿が流れ落ちたのを見たときは、気がくるいそうでした。処置としては気管内チューブを入れ呼吸器につないでいます。パールにしてあげられることはもうその程度だそうです。急変の2時間程前はトイレシートを替えるときに怒った顔をして頭を持ち上げたのに....もう少しで病院へ行き変化なければ家へ連れて帰ろうとパパと話しあいました。 パールに頑張って欲しいこの先もまだずーうっと一緒にいたい.....そう思いつつもあの姿をみると「もうねんねしなさい」と言ってあげた方が良いのかと迷います。こんな自分は冷たいのでしょうか..(2002.03.03早朝記ママ

 8時頃パールを病院に迎えに行きました。昨夜の様子ではもう回復の見込みは極めて少ないと思われ、自宅に連れてくることにしました。熱も上がり、モニターでは心拍数は230にもなっていました。一生懸命、心臓は血液を送り出そうとしているのですが、この心拍数が長く続くとは考えられません。車に乗せ急いで、自宅へ走らせました。病院と自宅の間は車でものの10分ほどです。「パール、家に着いたよ」と車から降ろそうとしたとき、すでにパールの心臓は動きを止めていました。
 パールも半兵衛もドッグランで走ることが大好きでした。私が帽子を被り、オヤツを用意したり、ウンチを入れる袋を用意し出すともう2頭とも「外で遊べる!!」とそれはそれは大騒ぎをしたものです。パールママの発案で家に入る前にパールをドッグランによこたえました。ママが言います、「ほら、思いっきり走りなさい」。
 それから家の中に連れて行きパールをなでてやりました。涙と鼻水が止まりませんでした。(後日、2002.03.04夕方記パパ

 今日は、桃の節句です。午前8時20分、パールが逝きました。4才になったばかりでした。 応援してくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。 今はこれだけ書くのが精一杯です。(2002.03.03 9時少し記パパ

 
とてもやすらかなきれいな顔でした。
お花を用意し、ろうそくとお線香をたてました。

 パールパパです。 みなさん、ほんとうにどうもありがとうございます。 たくさんの方が掲示板に書き込んでくださって..... また、直接のメール、お電話、Faxなどもたくさんいただきました。 今さらながら、多くの方がパールのことを気遣ってくださっていることを感じ 感謝の気持ちでいっぱいです。 だんだん冷たくなるパールの枕元で話しかけ、8冊のアルバムを眺め、 「パールの部屋」の掲示板でみなさんの書き込みを見てありがたく感じ、 といういことの繰り返しで時間が過ぎていきます。 今晩は家族みんなでリビングでパールを囲んで一夜をともにします。 明日の午後、荼毘に付します。 本来であれば、みなさんのお一人お一人にきちんとお礼を述べさせていただきたいのですが、 今はまだ余裕がありません。ご容赦下さい。 私もパールママもだいじょうぶですから、ご心配なく。(2002.03.03 20時過ぎ記パパ

 多くの励ましのお言葉、お悔やみの書き込みをありがとうございます。パールはこんなに多くの方々に愛されていたんだと私自身が驚いています。昨夜はリビングでパールを真ん中に川の字で寝ました。とても幸せな気分でした。でも、朝になりパールに「おはよう」を言っても何も言ってくれません。触ると冷たく固くて...「あぁ、本当に逝ってしまったんだなぁ」と悲しくてどうしようもありません。 やはり半兵衛も何か感じているのでしょう。パールが寝込んでいるときはパールに吠えてアピールしていたのに今はパールに感心がないというか近づきませんし、半兵衛自身もフードを食べません。いつもと違う雰囲気と毎朝繰り広げられていたパールとのバトルもできなくて、半兵衛を見ていても可哀想です。 午後にパールは荼毘にふされます。あの触り心地のいい毛も、呼んだら倒して駆け寄ってくる耳も、トレーニングでよく出来たら得意げになる目も消え去ってしまいます。(2002.03.04 10時 記ママ

 パールがお骨になり戻ってきました。火葬場に連れて行く途中獣医さんの所へ行き車の中でお別れをしてきました。パールは先生の事が大好きだったので寄ることが出来て嬉しかったのではと思います。おやつやオモチャたくさんの写真と一緒に旅立たせましたが、私自身は親として出来る限りのことをしてあげたから仕方がないんだと妙に冷静でした。 半兵衛はパールの姿がないと元気に走り回っています。やはり遺体があるのと私達の異様な雰囲気を感じていたのでしょう。競り合う相手がいなくなったのは半兵衛にとっても不憫なことですが...パールがいないリビングは寒々としています。(2002.03.04夕方 記 ママ

 パールママは自分が発作を、早く見つけてあげられなかったからこうなったのではと自分を責めがちになります。決してそんなことはありません。発作はいつ起こるかわかりません。夜中の寝てる間にも起こり得るし、我々が出かけている間にだって起こりうるのです。それに2月27日のあの止まらない発作の様子では、発作が目の前で起こってすぐ病院に連れて行っても結果は同じだったでしょう。むしろ、その後の看病こそ、夫として妻を讃えたいと思います。できる限りの最善を尽くしました。
 これがパールの運命だったのでしょう。私たち夫婦は4年間、パールのおかげで幸せな時間を過ごしました。犬はあまり好きではないパパだったけれど、だんだん犬のことを理解したし、お前のことは大好きだったよ。ありがとう、パール。

 たくさんの激励、お悔やみなどをいただき、パールも私たちも感謝しています。みなさん、本当にどうもありがとうございました。(2002.03.04夕方 記 パパ

 犬との暮らしはパールが初めてではないですが、この子は私にとって特別な基礎犬で した。私にとっては命そのもののパールが四歳という短い生涯を終えてしまったのが とても残念でなりません。目標としていたGCテスト合格もかなわぬ夢となりましたし、 アジリティも出来ません。でも小さい頃から色々やらかしてくれてそこで素晴らしい ドックトレーニングインストラクターと出会い、パールとコンビでいっぱい勉強する ことが出来ましたし、パールとの関わりがあったから「人と犬の素晴らしい関係づく り」を学ぶことが出来たと思います。 そしてたくさんのネッターの方々とお知り合 いになり一緒に旅行やお喋りが出来たのもパールのおかげです。本当にパールありが とう。お母さんパールのこと一生忘れないよ。(2002.03.04 夕方 記 ママ